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Q&A- Questions -

外国人参政権問題の基礎知識(抄録・更新版)

<プロフィール>
近藤 敦さん
名城大学法学部教授
主な編著書に『「外国人」の参政権』(明石書店)『新版 外国人参政権と国籍』(明石書店)など。

注)以前の内容を要約しつつ、最近の中心的な議論に対応するように、Q一六、Q一七に新たな論点を2つ挿入するなど、若干、加筆しています。詳しい内容は、近藤敦『Q&A外国人参政権問題の基礎知識』(明石書店、2001年)を参照して下さい。

はじめに

二〇世紀の終わりに、永住外国人に地方選挙権を承認する法案が国会に提案されてから、二一世紀の日本のあり方をめぐる議論が、さまざまな場所で広がっています。民主化の問題であると同時に、国際化、少子・高齢化といった今日的な課題との関係で論じられることも多くなっています。この問題は、日本が今後、外国人をどのように受け入れていくのかという論点を含んでいます。また、直接には、すでにいる外国人の権利向上をどこまで進めるのかという問題です。さらには、国籍の取得を容易にする必要もあるのではないかという課題と背中合わせの問題です。外国人の参政権については、これまで憲法学者、政治学者、社会学者がそれぞれの学問領域から論じています。最近では、政治家や各種の批評家がこの問題を論じはじめ、さまざまなフォーラムを通じて多くの市民がこの問題の是非を論じています。この問題に関する大量の情報が、マスメディアやインターネットを通じて、流布されています。それらの中には、事実認識において謝った情報も少なくありません。多様な価値観をもった、できるだけ多くの人が、この問題に関するさまざまな評価を述べ合うことは、民主主義の発展にとって好ましいことはいうまでもありません。本稿は、尋ねられることの多い疑問に対して、まとまった回答を試みるものです。その際、不正確な思いこみに基づく意見や情報に対しては、できるだけ客観的な意見や情報を対置させながら、賛成論の立場と反対論の立場の論理的に入り組んだ問題を、わかりやすく解説してみることを心がけようと思います。

Q1 最高裁は、永住外国人の地方選挙権を認めているのですか

永住外国人の地方選挙権に反対する意見として、最高裁判決は「地方自治体の首長や議員を選ぶ住民も日本国民としている」ので「憲法に反する」とか、「傍論は明らかに本論と矛盾し、法的拘束力もない」という批判があります。

一方、賛成する側からは、「最高裁の判決は、永住外国人の地方自治体レベルの選挙権は違憲ではなく、法律の改正により可能である」といっています。

どちらが正しいのでしょうか。一九九五年二月二八日の最高裁判決は、本論において、「我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない」といいます。その後、傍論部分で補足しながら、永住者等に、「法律を持って、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない」といっています。

本論で「保障」を否定し、傍論で「禁止」を否定しています。憲法の解釈には、合憲と違憲の二通りがあることはよく知られています。しかし、憲法条文が原告らの権利をどのように定めているかのかについて、憲法解釈には、「要請」、「許容」および「禁止」の三通りがあることは、法律の専門家以外にはあまり知られていません。原告らの地方選挙権を認めていない公職選挙法が憲法に違反していることを訴えた訴訟に対し、最高裁は、憲法が原告らの権利を「保障」していないというのは、憲法が「要請」していないことを本論で明らかにしました。要請でなければ、許容か禁止のいずれかになります。最高裁は傍論で、原告が望むような公職選挙法の改正も、憲法は「禁止」していないことを明言していますので、結果として、「許容」説に立つことがわかります。許容説の場合は、永住者等に地方選挙権を認める法改正をしないことも違憲ではなく、逆に、永住者等に地方選挙権を認める法改正をすることも違憲ではありません。最高裁が、このように本論では、訴えた個人の権利を否認する結論を導きながらも、傍論において、立法改革の必要性または可能性を国会に示す判決は、この種の制度改革を目的とした訴訟ではこれまでにもみられます。また、判例法主義をとらない日本では、判決理由と傍論の区別は明確でなく、朝日訴訟判決では、傍論が先例としての効力を認められています。いずれにせよ、判決理由である本論と傍論の区別は、本来、司法権に対する効果の議論であって、立法権の制約理由として、傍論であることを持ち出すのは筋違いのように思われます。

最高裁判所の賢慮として、制度改革をしないことが違憲であるとの訴えに対し、違憲ではない旨を本論で示す一方で、国会が制度改革に取り組むことも憲法上許容されていることを示すことは、憲法の番人として最高裁判所に与えられた使命に反するものではありません。むしろ、日本の最高裁は、これまであまりにも消極的であり、内閣や国会に対して遠慮する司法消極主義をとっているとの批判が一般になされます。傍論で、国会にシグナルを送り、ひいては国民の民主的な判断に委ねられていることに注意を喚起するこうした判決手法は、司法消極主義の最高裁にあって、憲法の番人としての国民の付託に応えるためには重要な判決手法と思われます。

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Q2 参政権は国民固有の権利だから、外国人には認められないのではないですか

「参政権を国民固有の権利とした憲法一五条に違反する疑いが強い」という反対論がいわれはじめました。

これに対し、外国人の地方選挙権に賛成する側からは、「国民固有の権利とは、かつての官吏任命に関する天皇大権のように、国民から奪ってはならない権利というのが本来の意味であって、この条文から外国人の選挙権を禁止することはできない」といいます。

答えは、「固有の」という言葉がもつ憲法学上の意味と、法制局の見解を調べれば、わかります。まず、条文のできた経緯や、もともとの意味を確認するならば、「固有の」という言葉は、「譲渡できない、奪うことができない」という意味です。欧米の憲法学の伝統に基づいた、非常に基本的な用語であり、「固有の権利」とは、不可譲の権利としての人権の性質としての固有性を表す表現です。憲法一五条一項の公定英文にある「固有の権利(inalienable rights)」とは、国際人権規約の前文の第一文にある「奪い得ない権利(inalienable rights)」(外務省訳)にみられるように、本来は、人間から奪うことのでき ない権利として用いられる言葉を、日本国憲法では国民から奪うことができない権利といいかえただけであり、国民「のみ」に限定する意味は含んでいません。国民から選挙権を奪わなければ、永住者等に地方選挙権を認めても、憲法一五条の言葉の意味に反するわけではありません。

この場合の「国民固有の権利」とは、「国民が当然にもっているとされる権利、したがって、他人にゆずりわたすことのできない権利」であることが、憲法の中心的な注釈書でも説明されています。では、「他人」にゆずりわたすとはどのような場合をさすのでしょうか、また、なぜ、「国民固有の権利」という表現を使っているのでしょうか。この答えを導く上で、天皇主権の明治憲法においては、官吏の任免権の根拠が究極的には天皇にあり、国民から奪われていた憲法の歴史を考えれば明らかになります。「国民固有の権利」といっているのは、国民主権の日本国憲法では公務員の選定罷免権の根拠が国民から奪われてはならない、という性質を明確に表明していると理解するのが正当と思われます。したがって、国民固有の権利とは、かつての天皇大権に対して向けられた、国民から奪ってはならない基本的な権利であることを意味します。

また、この点の一五条解釈は、高辻正巳法制局第一部長が、一九五三年に「日本国籍を喪失した場合の公務員の地位について」という政府見解で、すでに明確に述べています。高辻回答では、憲法一五条のいう「『固有』の権利とは、国民のみが『専有』する権利であると解す」のではなく、「『固有の権利』とは『奪うべからざる権利』の意味に解するのが正しく、一般に外国人に対して公務員を選定する権利が認められないのは、直接本条から引き出される結論ではな」いと明言しています。

しかも、日本国憲法の人権をだれがもつのかということに関する憲法学説においても、反対論は、「文言説」に立つことになります。今日の通説は、文言説ではなく、「性質説」です。日本国憲法の保障する基本的人権は、権利の性質により、外国人がもつことのできない合理的な理由がないかぎりは、外国人も享有します。「国民は」と「何人も」という文言を用いている人権規定に対し、機械的に国民と外国人の二分法で当てはめるのではなく、権利の性質と外国人の態様に応じた合理的解釈がほどこされます。したがって、憲法一五条の文言を根拠に永住者の地方選挙権を憲法違反とする議論は、今日ほとんどの支持者を失っている文言説に立つものであり、憲法学の通説からも、先の政府見解からも妥当な解釈とは思われません。

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Q3 特別永住者に対象を限定すべきではないのでしょうか

かつて、有力な国会議員の中から、「特別永住者にのみ対象を限定する」という修正案が浮上していました。

たしかに、これまでの学説の中にも、特別永住者である「在日の旧植民地出身者」の選挙権・被選挙権の剥奪は特別に違憲とする見解もありました。特別永住者の場合の歴史的経緯を、他の一般永住者とは区別して、とりわけ重大な権利侵害がなされているという認識は、少なからぬ共通意見としてあります。「在日」の国籍剥奪が手続上、法律ではなく「通達」によりなされたことは、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とする憲法一〇条に抵触する旨も指摘されています。国籍の選択権が認められないことは、国際法の新しい傾向からいっても問題と思われます。二〇〇〇年に国連が制定した「国家承継に関する自然人の国籍宣言」二五条二項および二六条では、国籍の選択権を国家が付与すべきであり、国籍の選択権を認めない場合の国籍の剥奪を禁じています。

なぜ、日本で永住外国人の地方選挙権が問題になるのかというと、まず考えられる日本の特殊要因は、旧植民地の出身者とその子孫が、一九五二年のサンフランシスコ平和条約発効後の通達により、本人の意思を問うことなく、日本国籍を喪失し、現在でも特別永住者の外国人として、四二万人ほどの人がいることです。

しかし、他の国と同様、一般の永住者も増えており、すでに五〇万人近くいます。また、選挙の普遍主義原則からも、出身国を限定することは問題があります。日本に永住している外国人の出身国は多岐にわたり、住民自治の理念を損なうことは得策とはいえません。かつての植民地から独立した国々からなる英連邦諸国の出身者には、参政権を認めているイギリスを例に出す人もいますが、イギリスでは、国会の参政権も認めていますので、国政と地方を分ける日本での議論の参考にはなりにくいように思えます。

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Q4 永住外国人以外にも対象を広げるべきではないでしょうか

たしかに、日本の永住者資格の取得要件は、長い滞在期間を必要とします。一般の永住者の資格は、原則として、継続して一〇年(留学生として卒業した場合は就労資格に変更後五年)以上の滞在、生計維持能力、素行が善良であることを要件として、在留状況等を総合的に判断した法務大臣の裁量により認められます。日本人・永住者・特別永住者の配偶者は三年の滞在などの簡易的な取得要件もあります。かつて、継続して二〇年が原則であったのに比べれば、永住許可の取得要件が緩和されたものの、依然として帰化の原則的な滞在要件の五年よりも長いことは、外国人に永住資格を認めることに消極的な日本の姿勢がうかがえます。人口過密を理由に永住者の受け入れを厳しく制限してきた日本の方針も、経済が急速にグローバル化され、人口減少時代を迎えて、継続的に見直していく必要がありそうです。

永住外国人の地方選挙権の案では、日本に相当に長く住んでいても、永住資格をまだもっていない人が地方選挙権を行使できない問題が残ります。そもそも、どのような判断基準でもって、外国人の地方選挙権者の要件を導くかという点についてはいくつかの考え方があります。一つは、政治判断能力を身につける上での必要な期間を三年ないし五年と設定する方法です。いま一つは、選挙権が権利としてだけでなく、一定の責任と対応すべきという考えもあり、永住の意思を有する者が決定に対する政治的責任をになえるのではないかという意見もあります。永住許可に必要な居住要件を、五年以下とすれば、両者の考え方の違いは、実際上はあまり大きな問題ではなくなります。

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Q5 自治体ごとの判断で決めればよいのではないですか

かつて、国会議員の中から、「永住外国人の地方選挙権の導入を自治体ごとの判断にゆだねる」という考え方も一部にありました。

この点、当時の自治省幹部によれば、「憲法九二条には『地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方公共団体の本旨に基づいて法律で定める』と定められており、ただちに憲法違反とはいえない」との見解が示されました。法律で選挙権者の範囲を条例で定めることができる旨の法改正をすれば、憲法上は可能ということです。しかし、国とは違った地方自治の独自性を強化する効果をもつこの案は、国の主権を盾に反対する論者にとっては、いっそう妥協しがたいものに映るかもしれません。

諸外国では、こうした事例がないわけではありません。オランダでは、外国人の地方参政権を認める法改正を議論している頃に、アムステルダム市とロッテルダム市が先行してまず、区議会の参政権を条例で認めたことがあります。この両市の区議会選挙の経験により、イスラム政党が台頭するのではないかというオランダ人の不安が消え、他方、選挙に参加することで自国の国籍を失うのではないかという外国人の側のそれまでの不安も解消されました。また、スイスの州は、州ごとで外国人の地方選挙権を認めるかどうかを決め、さらに市町村が独自に外国人の地方選挙権を認めるかどうかを決めます。加えて、アメリカのタコマ・パーク市も、一九九二年から外国人の地方参政権を条例(都市憲章)で導入しています。

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Q6 在日外国人団体の中にも反対している意見があるのではないですか

反対論は、「在日外国人団体の中でも、外国人の参政権に反対している意見がある」ことを理由にあげます。

たしかに、北朝鮮系の在日外国人団体である「朝鮮総連」が反対する理由として、つぎの四点が指摘されたことがあります。第一に、内政干渉、民族分断につながるおそれがあるということです。第二に、朝・日国交正常化が実現せず、治安対象とされてきた在日朝鮮人の法的地位問題が根本的に解決していないので時期尚早だという点です。第三に、民族的尊厳が認められない日本社会の差別の現状に目をつむり地方参政権をいう前に、生活と教育、企業活動などの権利保障が重要だという点です。第四に、在日朝鮮同胞の民族的主体性を否定し、帰化・同化現象をうながすという点です。

第一の理由について、たしかに、かつてのナショナリズムの強い時代には、日本と同様に多くの欧米諸国も、集会・結社の自由、政治的表現の自由を禁じていました。しかし、一九七〇年代、八〇年代を通じて、外国人の政治活動の自由が多くの国で認められてきます。この背景には、外国人の定住とともに、その社会の構成員として、社会を運営する上でじゅうぶんな参加が保障されることが望ましいとする考え方の普及があります。政治的表現活動の自由に加え、地方参政権は内政干渉に当らないというのが新しく広がりつつある考え方です。投票行為も、政治的な表現行為の一つであり、外国籍の人が内政干渉を理由として、永住外国人の地方選挙権法案という日本の内政問題に反対する政治的な表現をすることは、不思議な構図となっているように思われます。この種の政治的表現が認められることと、地方参政権が認められることは、同じ自由主義的な民主主義原理に支えられており、一方を否定すると、他方も弱めてしまう論理構造をもっている点を指摘しておこうと思います。

一方、たしかに、外国人地方参政権に、在日団体のうち、韓国系の「民団」が賛成し、北朝鮮系の「朝鮮総連」が反対することで、民族の分断のおそれが懸念される側面もありそうです。この点、地方選挙権から「朝鮮」籍および無国籍の人を排除する案では、民族の分断をまねくといわれるかもしれません(もともと、在日コリアンは、外国人登録上の国籍欄は、みな「朝鮮」であったのが、「韓国」籍を希望しない者が、そのまま「朝鮮」籍として残っており、現在の「朝鮮」籍の人がすべて北朝鮮系を意味するものではないものの、北朝鮮系の人を除く意図をもって考案されていた点が多くの批判を受けていました)。民主的な選挙制度に対する位置づけが、その出身国によって違っており、住んでいる国での参政権に抵抗感をもつ外国籍の人がいることは多くの先進諸国でもいわれ、外国人の投票率が低いことの一つの理由としても説明されています。

第二と第三については、治安対象とされず、法的地位を確立する上でも、地方参政権の取得は、効果があるものと思われます。外国人参政権を導入している欧米諸国での経験からも、地方選挙の有権者となることで、政党および議員が、有権者の生活と教育にもいっそうの配慮をする政策に取り組むようになり、ひいては企業活動などの権利にも改善がみられるもことも期待されます。こうした権利向上が伴わなければ、地方参政権は要求しないという論理は、わかりにくいものがあります。かつて労働者や女性が、参政権を獲得したことで、その後のさまざまな権利向上を進めてきた民主主義の発展の歴史に照らしても、再考する余地があるような理由のように思われます。

第四に、同化と帰化を促進するという反対理由については、「同化」政策と「統合」政策の違いを説明する必要があります。ヨーロッパで外国人の地方参政権が政治課題となってくるのは、同化政策から、統合政策への転換がその背景にあります。外国人が住んでいる国の多数派である国民の生活様式や文化に適応することを「同化」と呼び、同化が達成された場合に帰化が認められ、国籍を取得し、国民となることが、かつて多くの国で外国人政策の基本方針とされていました。日本の従来の基本政策もこうした同化政策にあったと思います。しかし、ヨーロッパ諸国では、一九七〇年代および八〇年代にかけて、外国人が多く定住する状況にいたり、「統合」という概念により政策目標が示されるようになりました。たとえば、スウェーデンでは、日本のコリアンその他の外国人にあたるフィンランド人その他の外国人の権利向上政策を、統合政策と呼び、それまでの同化政策から大きな転換をはかりました。外国人の地方参政権だけではなく、スウェーデンで育った子どもの母語教育を保障したり、従来の国籍を保持しながらスウェーデン国籍を届出により取得するなどの一連の多文化主義的な統合政策が、スウェーデンの統合政策の特徴です。その基本目標は、平等・選択の自由・協同(共生)にあります。社会保障や労働に関する権利の平等をめざし、文化的な同化を求めることをやめ、どのような文化を選択するかという選択の自由を追求し、外国人に地方参政権を認め、二重国籍の可能性を広げる協同(共生)をめざします。日本でも、共生社会ないし多文化共生社会の実現が目標とされるようになりつつあり、徐々に同化政策からの転換がはかられつつあります。外国人が地方選挙権を獲得することは、本来、同化政策から多文化共生政策へと移行するプロセスになじむものです。日本が多文化共生社会に移行する政策転換を少なくとも自治体レベルで要求する手段として、外国人の地方選挙権を位置づけることがじゅうぶん可能な方策と思われます。

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Q7 外国人参政権は、移民受け入れを奨励するためのサービスではないのですか

外国人地方参政権のモデルを提供しているスウェーデンに関して、「外国人に地方参政権を付与することは、移民の流入を奨励する目的だったのであり、日本とは事情が違う」という反対論もあります。

この種の反対論は、スウェーデンの歴史やヨーロッパ諸国の外国人政策に対する認識不足によるものです。スウェーデンが移民を送り出していた貧しい時代は、一九世紀半ばから一九三〇年にあたり、その後二度の世界大戦に参加することなく急速な経済と福祉の発達をみました。積極的に移民労働者を受け入れたのは一九五〇年代と一九六〇年代です。しかし、一九七〇年代前半の第一次オイルショックで移民労働者の受入れはストップします。

その後、厳しい入国規制が課されます。一方、新たな外国人労働者の流入を拒否した後に、帰らなかった多くの外国人を定住する「移民」と位置付けて、家族の呼び寄せや難民の流入を人道上受け入れながら、国際人権条約にみられるような外国人住民の権利向上の施策がヨーロッパ各国で推進されます。早くから定住する外国人を「移民」と位置づけて、権利向上に積極的に取り組んだのがスウェーデンであり、ごく最近まで「移民国家」という位置づけを頑なに拒否して、外国人の権利向上にやや消極的であったのがドイツです。

したがって、スウェーデンの外国人地方参政権導入は「移民の流入を奨励する目的だった」として、日本との事情の違いを主張する説明は、事実に反します。このことは、現在でも、文字通りの移民の流入を奨励しているアメリカ、カナダ、オーストラリアなどが外国人の地方参政権に消極的であり、オイルショック以後、「移民」の流入を奨励しなくなったヨーロッパの方が積極的なことからも明らかでしょう。

では、なぜ、スウェーデンにおいて外国人の地方参政権が導入されたのでしょうか。その目的は、つぎのように説明されています。外国人住民にとって、政治的影響力・政治的関心・自尊心・スウェーデン社会との連帯感を高めること、社会にとって、民主主義や公正に仕え、自治体を活性化させ、国の外国人政策を実行可能にすることにあったといわれております。この目的は日本その他の国にも妥当するものと思われます。また、現在の日本での法案の立法趣旨も、おおむねこうした点にあります。永住外国人としての一連の権利保障は、移民を奨励するためのサービスというよりも、外国人が多く定住している場合に、必要な社会統合のための方策であると考えることができます。文化的な多様性を維持しながら、対等な個人の社会・経済・政治・法的参加を実現する柔軟なシステムを現代の国家は必要としています。

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Q8 外国人参政権は、亡国への第一歩ではないのでしょうか

外国人の参政権に反対する議論として、たとえば、「永住外国人の地方参政権は亡国への第一歩である」とか、「国の崩壊を招く」という主張があります。

しかし、こうした反対論の根拠となる事実はあるのでしょうか。定住外国人の地方選挙権を五〇年近く前から認めてきたアイルランド、三五年前から認めてきたスウェーデン、スイスのヌーシャテル州にいたっては一〇〇年以上の伝統がありますが、いずれの国や州も「亡国」や「崩壊」に向かっていることは検証されていません。

ただ、国家のイメージといったものは変わっていく可能性はあると思います。欧米人が、日本をみるとき、「排外主義」的とか、「単一民族国家」的な特別の国としてイメージすることが少なくありません。排外主義的な「単一民族国家」神話に基づいて、日本という国を今後も維持させようと思うならば、単一民族国家イメージを永住外国人の地方参政権は崩してしまう可能性はあります。しかし、国そのものが崩壊するわけではありません。むしろ、「多文化国家」ないし「多民族国家」としての一定の側面を、日本ももっていることの認識が国内外で広がることは、日本という国の柔構造の基盤をより確かなものにすることにも役立ちます。通商国家としての日本が排外主義的なイメージをもたれることはマイナスでしょう。実際には、すでに一九八〇年代から社会権を保障し、福祉国家の構成員として永住外国人を承認しています。国や自治体のメンバーシップのあり方を硬直的に考えると、重要なメンバーの協力をえられず、かえって国内の人々の分離と反目を大きくさせてしまうおそれもあります。また、実際には、人口比からいって、日本人の文化的影響力の大きさはゆるぎがたいものがある一方、多様な文化や技能を採りいれてきた寛容性も、日本の伝統といえましょう。外国人の地方参政権その他の多文化共生政策を推進することは、日本の「単一民族国家」神話のイメージを崩すことはあっても、福祉国家、多文化国家ないし多民族国家の基礎を強化することでもあります。

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Q9 ヨーロッパと日本とは事情が違うのではないでしょうか

「外国人に参政権を付与するのは欧州諸国の一般傾向である」とはいえ、「ヨーロッパ共同体ではさまざまな融合が進みつつある」のであって、「日本と欧州とは状況が余りにも異なる」という理由から、外国人の地方参政権に反対する主張もあります。この論拠は、EUのようなアジア共同体とでも呼ぶべき地域共同体に日本が加盟する場合を想定した相互主義に基づく「互恵要件型」の地方参政権に対する反論とはなりえても、懸案の定住型の永住外国人の参政権に対する批判とはなりえません。

スウェーデンの場合、EUに参加する以前から、東西の冷戦構造が存在する時代にあっても、出身国の国籍にかかわらず、外国人に地方参政権を認めてきました。北欧やオランダやアイルランドなどの定住型の外国人参政権は、冷戦構造が存在した中でも、出身国にかかわらず、定住する外国人の権利向上のために地方参政権を承認し、外国人住民との「共生政策(統合政策)」を問題としているのです。

たしかに日本の場合、一九八〇年代後半から外国人労働者の流入が盛んになるのと、以前から定住している多くの在日コリアンがいる点は、一九六〇年代に外国人労働者の流入が盛んであったヨーロッパの事情とは異なります。また、冷戦構造が残っている極東の事情は、冷戦が終結したヨーロッパとは異なります。しかし、アジアとヨーロッパの違いを過大にみることは正しくありません。スウェーデンその他の国が外国人の地方参政権を認めた時代には冷戦構造が厳然としてありながらも、東側の出身者を選挙権者から排除した例はみられません。

外国人の地方選挙権の投票率は一般に低く、投票しないという選択をしている人は以外と多い事実がヨーロッパでは指摘されています。スウェーデンにおける低投票率の理由として、非民主的な出身国の価値観との内部葛藤がある場合、定住ではなく出稼ぎが目的の場合、語学能力が低く情報不足の場合、選挙離れが目立つ若者が多いこと、どの政党も外国人政策に違いがなくなっていることなどが分析されています。過去八回の外国人の投票率は、六〇%、五三%、五二%、四八%、四三%、四一%、四〇%、三五%と長期低落傾向にあり、直近の二回で三五%、三七%と少し回復したにすぎません。国民の投票率が七六%以上を保っているのと大きな違いがあります。外国人の人口比率が五%以上であるのに対し、当選者比率は県も市町村もともに一%以下です。スイスのヌーシャテル州、ノルウェー、デンマーク、ベルギー、この種のデータを取っている国では、いずれも外国人の投票率は、国民の投票率よりもかなり低い結果となっています。もちろん、外国人と国民との実質的な平等政策が不十分なことを、低い投票率が物語っているとの評価もあります。諸外国で検証されている外国人の地方参政権の重要性は、有権者となった外国人に対する政策に政治家の目を向けさせる点にあるといわれています。

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Q10 国民主権原理から、外国人の地方選挙権は認められないのではないですか

反対論は、「国民主権原理から、国籍保有者である国民のみが主権の行使としての選挙権を行使すべきであり、外国人の選挙権は認められない」といいます。

これに対する賛成論には二つの立場があります。一つは、「国民主権とは、民主主義と同じ意味であり、国民主権における『国民』は、国籍保有者にかぎらない」という立場です。もう一つは、「主権の内容は制限されており、国民主権における『主権』は地方選挙権を含まない」という立場です。

たしかに、Q二で紹介した高辻回答が出された第二次世界大戦後のある時期までは、当時の主権の考え方・国際動向をもとにした国際協調主義からは、外国人の参政権は全面的に否定されると考えられていました。しかし、一定の外国人に地方参政権を認めている今日の先進諸国の主権論は変化しています。国民主権原理には、ナショナリズムと民主主義の二つの要素があります。憲法一条が天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」と定めているのは、明治憲法のような天皇主権から、日本国憲法における国民主権への転換を意味する民主主義の表明が本来の趣旨でした。もちろん、国と国とが戦い、アジアやアフリカの民族解放運動が多くの国家建設をもたらした戦後の時代にあって、ナショナリズムを強調した国民主権原理は、外国人の参政権に反対してきました。ただし、ここで、大事なことを見落とさないようにしましょう。天皇主権の明治憲法下でも、外国人の参政権は認められませんでした。このことからも、明らかなように、国民主権それ自体が外国人の参政権に対する反対要因というよりも、ナショナリズムが反対要因だということです。

一方、民主主義の観念と結びついた「国民主権」の原理の根底にあるのは、一国の政治のあり方はそれに関心をもたざるをえないすべての人の意思に基づいて決定されるべきという考え方であるとわれています。今日の民主主義を強調する国民主権原理(人民主権原理と呼ばれる)によれば、「永住者」たる成年の外国人を「永住市民」として認め、国政・地方をとわずその参政権を承認することが要請されるという意見もあります。もともと、国民主権原理における「国民」の解釈は、学説上争いがありました。今日の多くの国は、伝統的な国民主権原理と新たな人民主権原理との折衷がなされており、国民主権原理における国民は、必ずしも、国籍保有者を意味するとはかぎりません。

他方、「主権」も多くの意味に理解されている言葉です。主権の中身が憲法制定権を含むこと、その憲法制定権の裏返しとしての憲法改正権を含むことは多くの論者において一致しています。かなり多くの人は立法権も主権の内容としています。しかし、地方の条例制定権は、主権の内容に含まないという考え方も多くみられるようになっています。この場合は、国会の参政権は認められませんが、地方参政権にかぎって、国民以外に認められる余地がでてきます。ヨーロッパ諸国で、外国人の地方参政権を認める国々では、主権の内容を限定的にとらえるこうした考えが背景にあります。欧米諸国では、憲法条文において国民主権原理を定めている国(たとえば、スウェーデン、アイルランド、ドイツ、フランス、スペインなど)は今日、地方参政権を一定の外国人に付与することと、国民主権原理とは両立しています。各国の主権原理が変化しているなか、国民主権原理を根拠に外国人の地方参政権を違憲とする説得力は乏しくなっています。いうなれば、地方自治の理念は、地方において民主主義の要素を強化するものであり、地方選挙のレベルでは相対的に国民主権原理のもつナショナリズムの要素が弱まります。

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Q11 国政と地方自治は不可分ではないのですか

反対論は、「国と地方の同質性を強調して、自治体も国の統治機構の一部であるので、国と地方を区別することなく、国民のみが参政権を行使すべきである」といいます。

これに対し、「地方自治の本旨」としての「住民自治」の観点から、外国人住民の地方参政権を許容する学説が有力です。一九九五年の二月二八日の最高裁判決も、この学説の立場に近いものと思われます。最高裁は、「民主主義社会における地方自治の重要性」を考慮して、「永住者等」に地方選挙権を付与する法律を制定することは、「憲法上禁止されているものではない」といいました。憲法九三条の「住民」に含まれない外国人に選挙権を付与することを「保障=要請」していなくても、禁止もしていないとするのが許容説の立場です。

この理由づけについて、最高裁の判決は、ていねいに説明しておりませんので、なぜ「地方自治の重要性」を考慮すると、永住者等の地方選挙権が許容されるのかを解説しておきましょう。憲法一五条が選挙権を含む公務員の選定権を「国民」に保障しているのは国民主権原理から派生します。他方、憲法九三条が地方選挙権の主体を「住民」とするのは、憲法九二条の「地方自治の本旨」から派生します。一般に、地方自治の本旨とは、住民自治と団体自治をさすと考えられています。住民自治とは、地方の政治・行政は、地方の住民の意思に基づいて行われるという意味です。団体自治とは、地方の政治・行政は、国とは独立した団体、すなわち地方自治体によって行われるという意味です。最高裁の言葉を用いれば、「住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその地方公共団体が処理する政治形態」が地方自治です。その地方自治を「憲法上の制度として保障しようとする趣旨」から、「永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に密接な関係を持つに至ったと認められるものについて」法律をもって、地方選挙権を認めることは「憲法上禁止されているものではない」という解釈が導かれます。とりもなおさず、住民自治原理からすれば、その自治体と密接に関係している永住者等の住民の意思を無視した形で政治を行うことは、「自治」の理念にも、民主主義の理念にも反するのではないかという判断が最高裁判決の背景にはあります。

もともと、国会選挙は国民主権原理から派生しますが、地方選挙は、国民主権原理から派生するというよりも、住民自治原理から導かれるものです。しかし、憲法の基本原理が調和する全体の構造を体系だって考えることは必要です。国民主権原理と住民自治原理が、矛盾することなく、整合している必要があることはいうまでもありません。そこで、憲法九四条をみますと、地方自治体は「法律の範囲内で条例を制定することができる」と書いてあります。国民が選挙で選んだ国会が制定した法律に基づく政治が行われることを国民主権原理は要請します。法律に違反する条例は原則として無効になり、国民の意思でつくられた法律の範囲内で条例がつくられるのであれば、条例を制定する地方議会・長の選挙に永住者等の住民が参加することも、国民主権原理とは矛盾しません。最高裁のこの事件を担当した専門調査官の判決後の説明にも、3つの理由が指摘されています。①外国人の地方選挙権の場合は、実質的にみて、国民主権原理とのかかわりが少なく、②国会が法律で認めることにより国民主権原理の正当性が担保され、③憲法94条により、条例が「法律の範囲内」で制定されるため国民主権原理との抵触が回避されるといいます(福岡右武「最高裁判所判例解説」法曹時報50巻3号(1998年)212-213頁)。

国民主権原理の母国といわれるフランスでも、地方議会議員が国会の上院議員の選挙に関与する場面での国民主権原理の抵触を問題とすることはあっても、地方選挙権にEU市民が関与すること自体は合憲となります。ドイツでも、地方選挙権が「国民」と定められていた憲法条文との体系解釈から憲法違反とされましたが、いまやEU市民にも拡充された地方選挙権は国民主権原理と両立しています。日本国憲法九三条は、地方選挙権者を「住民」と定めており、憲法改正をしなくてもじゅうぶんに可能な文言にはじめからなっています。オランダやスペインの憲法など、「住民」という規定により、一定の外国人住民の地方参政権が認められている例は、比較憲法上確認できます。

たとえば、ドイツが外国人の地方参政権を認める上で、憲法改正が必要だったから、日本も外国人の地方参政権の導入には、憲法改正が必要だとする議論があります。しかし、外国人の地方参政権を導入している多くの国があるなか、ずいぶん視野の狭い議論です。しかも、憲法を改正した結果だけを取り上げるのでなく、なぜ、憲法改正が必要とされたかの理由において、日本と照らし合わせた議論をしない比較は、あまり意味がありません。ドイツでは国家権力が国民に由来するという国民主権原理と同時に(二〇条)、州と郡および市町村の選挙権が「国民」と定めているので(二八条)、郡および市町村の選挙権を国民以外に認めるためには、憲法改正がとくに必要とされました。ドイツでは、判例や多数説が許容説ではなく、許容説が少数説にとどまっているのに対し、日本では、判例や多数説が許容説を採用しているのは、一種の文言説を採用するドイツと性質説に立つ日本とでは、「国民」という文言のもつ意味合いが大きく異なることにも注意を払う必要があります。

また、結果を問題にするならば、憲法改正により外国人の地方参政権を導入している国(フィンランド、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、スペイン、ポルトガル、オーストリア、スイス、エストニア)と、法令の改正で導入している国(アイルランド、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカ、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、イタリア、ギリシア)は、欧米諸国のなかで、およそ半数ずつです。したがって、結果だけみても、憲法改正が必要と結論づけるのは、広い視野に立つかぎり、難しいものがあります。憲法が国民主権原理を定めながら、法令で外国人の地方参政権を導入する国(アイルランド、スウェーデン、イタリア、ギリシア)もいくつもあります。いわば、アイルランドやスウェーデンなどの許容説の先進国を例に引くまでもなく、日本の地方選挙権者は、憲法上、「住民」とあり、とりわけ外国人の地方選挙権を認めやすい規定になっていることを勘案すれば、法律改正でじゅうぶん可能とみるのが、妥当な比較法上の判断のように思われます。これらのほとんどの国が、国の選挙と地方の選挙を区別して考えており、日本だけこの区別を認めてはいけないとする憲法上の理由は、見あたらないように思います。

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Q12 相互主義で認めればよいのではないですか

北欧五カ国のうち、四カ国は、相互主義により、外国人の地方参政権を導入しました。一九七〇年代には、北欧市民に限定して地方参政権が、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、アイスランドでは認められるにすぎませんでした。スウェーデンだけが、一九七六に最初から三年以上定住しているすべての外国人に地方選挙権・被選挙権を認めました。しかし、その後、デンマークは、一九八一年に三年以上の定住外国人に選挙権者・被選挙権者を拡大しました。なぜならば、北欧市民と、それ以外の外国人との間に義務の点でなんらの違いはなく、北欧市民にだけ地方参政権を認める相互主義は、それ以外の外国人に対する不合理な差別の印象をぬぐうことはできないからです。ノルウェーも一九八五年から、フィンランドは一九九一年から、アイスランドも二〇〇二年に定住型に移行し、今日、北欧諸国はすべて定住型です。

たしかに、一九九三年のマーストリヒト条約においては、欧州連合(EU)が創設され、EU加盟国の国民をEU市民と位置付けながら、EU市民がもつ「EU市民権」の要素の1つとして、他のEU諸国に居住するEU市民は、地方選挙権・被選挙権を相互主義に基づき原則として国民と同じ条件で認められることとなりました。しかし、当初、EU市民に対してのみ地方参政権を認めたベルギーやルクセンブルクも選挙権に関しては、互恵型から定住型に最近移行しています。

相互主義というのは、各国の外国人に地方参政権を認める居住期間の要件もまちまちであれば、州ごとに別の対応をしている国、被選挙権を一般に認めていない国、地方の長の被選挙権を認めていない国など、複雑な要素をともなう、厳密な相互主義は不可能だという問題があります。それよりも、深刻な問題は、同じ外国人であっても、出身国により、差別的な取扱いをする点にあります。

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Q13 参政権は国籍取得が前提であり、国籍取得要件の緩和があれば、外国人参政権は不要ではないのですか

「政治に参加するには、国籍の取得が必要だ」という反対論もよくみられます。

この種の反対論は、アメリカを例に出すことが多い。しかし、厳密にいえば、アメリカの一部の自治体では、定住外国人の地方参政権を認めています。たとえば、一九九二年からメリーランド州のタコマ・パーク市では、地方の選挙権と被選挙権を外国人住民にも認めています。また、より重要なポイントは、アメリカでは、生地主義により、移民の二世は国籍を取得するため、外国人の参政権を求める声が大きくなっていないということです。アメリカのような生地主義の国では、二重国籍に寛容であり、二世は出生とともに国籍を取得している事実も紹介しないと、この問題の全体像を見誤ることになります。二世・三世の外国人が政治参加から排除され続ける民主主義の欠乏はアメリカにはありません。また、「外国籍をもつ者が政治に参加すべきではない」と反対する場合は、アメリカでは選挙権を行使している国民の中には、外国籍も保持している二重国籍者も多い事実に留意すべきです。

この点、外国人の地方参政権に反対する論者は、外国人参政権の機運が高まると、「特別永住者は自動的に日本国籍を取得できると言ってもいいくらいに、帰化要件を緩和することがあっていい」といい、そうした機運がなくなると、この種の届出による国籍取得の方式を特別永住者に適用することをいわなくなっています。もっとも、届出方式を採用するだけでは、日本国籍の取得が飛躍的に進むものとも思われません。外国人の地方選挙権が実現せず、届出による国籍取得だけが実現する場合には、届出れば国籍が取れるのだから、どうして韓国・朝鮮籍を放棄して、日本国籍をとらないのですか、という日本社会の同化圧力は高まるでしょう。人のアイデンティティは、単一ではありません。人によっては、二重のアイデンティティをもちますし、二重の帰属性を必要とします。

また、たとえば、ドイツには、一定の要件を満たせば、届出により国籍を取得できるという制度(権利帰化)がありますが、二重国籍を認めない場合には、権利帰化もそれほど多くの申請者をもちませんでした。一方、東欧からのドイツ民族の帰還者は二重国籍が認められ、一時期、トルコとドイツの二重国籍が認められる運用がみられると、ドイツ国籍の取得が進みましたが、最近では、国籍取得の比率は増えていません。これに対し、スウェーデン、オランダなど多くの西欧諸国では、二世は大人になると、届出により国籍取得が、従来の国籍を維持しながら認められます。イギリスやスウェーデンでは、重国籍は原則として認められます。後天的な国籍取得を意味する広い意味での帰化(裁量帰化、届出などを含みます)が、二〇〇七年に在留登録していた外国人のうちどのくらいの割合であったかをみてみますと、日本は〇.七%、韓国は一.五%、ドイツは一.七%、オランダは四.五%、イギリスは四.九%、スウェーデンは六.八%です。日本の帰化率は、国際的には非常に低い水準にあります。重国籍に寛容であれば、おのずと住んでいる国籍を取得する人は増えます。帰化要件の緩和において、もっとも重要なポイントは、従来の国籍を放棄する条件を削除するなり、例外事例を大きく増やすことです。

もともと、外国人の地方参政権は、血統主義のヨーロッパ大陸で二重国籍に寛容でない場合の政策課題となることが多かった事実も知っておくべきでしょう。外国人の地方参政権を導入した国は、帰化要件の緩和にも取り組んでいます。外国人地方参政権と国籍取得要件の簡易化は、背中合わせの問題であり、ともに国際移住と国際結婚の増大に対応した政策課題です。どちらかだけが進む場合もあれば、両方進む場合もあります。一九九〇年代になって、欧米諸国は二重国籍を認める潮流をいっそう強めており、日本や韓国は「単一民族国家」の神話が強い数少ない国として欧米では見られています。両国で「国際化」の潮流に向かう政策の一環として外国人の地方参政権問題が浮上していることは、「単一民族国家」神話の崩壊の第一歩とはいえても、それがただちに国家の崩壊の第一歩を意味するものではありません。

したがって、二重国籍に寛容な国とそうでない国では、参政権が国籍を前提とする場合でも、移民の二世その他の具体的な権利状況が異なっていることを無視した議論は、正確ではありません。単一国籍原則を前提とした帰化要件の緩和は、永住外国人の地方選挙権に代わる代案としての実効性に乏しいことも、欧米の経験が物語っています。とりわけ、アジアには重国籍に不寛容な国が多く、国籍を離脱して外国人となった者に土地の所有権や相続権を認めない国々もあることを念頭に置いた議論も、今後は必要となることでしょう。日本における永住外国人の多くを占める、韓国も中国も日本との二重国籍に寛容でない以上、日本だけが二重国籍に寛容な国籍法改正をしても、効果が少ない現状においては、永住外国人の地方選挙権法案の方が、焦眉の課題とされることになります。

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Q14 二重国籍に寛容な国を教えて下さい

これまで、外国人が参政権を望むなら「帰化による国籍取得」が本筋とする議論があります。しかし、文化的に同化したくないという理由から帰化を欲することなく、永住する人も多くいます。そもそも、日本は国家を血統の共同体と考える伝統が強く、共通の祖先と言語と文化が所属性の基準であると考えられる傾向にあり、国籍が国民である両親から継承される「血統主義」が中心的な国籍取得原理となっています。これに対し、伝統的な移民国家であるアメリカやカナダなどは、国家を政治的共同体と考え、文化的相異を承認する考え方が取り入れられ、国内で生まれたことにより国籍を取得する「生地主義」が中心でありながら、親の国籍が承継される血統主義の要素もあわせもっているので、二重国籍に寛容になります。フランス、オランダ、スウェーデンといったヨーロッパ大陸諸国では、血統主義の伝統に加え、二世代にわたって国内で生まれたとか、二世代にわたって国内に住所を有しているとか、長いこと居住していることを国籍取得の基準とする、一定の「生地主義」や「居住主義」の要素が加重されています。たとえば、フランスでは移民の三世は、出生とともに国籍を取得し、移民の二世は、大人になると自動的に国籍を取得します。オランダでも移民の三世は、出生とともに国籍を取得し、移民の二世は、大人になると届出により国籍を取得します。スウェーデンでも、移民の二世は、大人になると届出により国籍を取得します。これらの場合には、従来の国籍の放棄を不要とし、二重国籍に寛容な多文化主義を取り入れてきています。

近年、二重国籍をできるだけ回避するという国籍唯一の原則は修正されつつあります。まだ外国人労働者の受け入れが本格化していなかった一九六三年に、欧州評議会は重国籍削減協定を結び、帰化や届出などにより他の締約国の国籍を取得した場合には、従来の国籍を放棄する旨を定めていました。しかし、女性差別撤廃条約に伴う、父系血統主義から男女両系血統主義へと移行するにおよんで国際結婚の場合の二重国籍が発生するばかりか、増大する移民の二世の国籍問題が見直される必要が高まりました。一九九三年には重国籍削減協定の第二選択議定書により、移民の二世と国際結婚の場合の重国籍を認めることになります。そして、一九九七年のヨーロッパ国籍条約では二重国籍を容認し、締約国の裁量で自由に決めてよいとすることで、重国籍を回避する原則は、国際法上取り除かれる動きがあります。また、ヨーロッパ国籍条約一四条一項aは、「出生により当然に相異なる国籍を取得した子どもが、これらの国籍を保持すること」を締約国の義務としているなど、国際結婚で生まれた子どもなどに国籍選択を義務づける日本の国籍法の方が、むしろ、今日の国際法の理念に反する状況にあります。

表一のように、欧米諸国は、重国籍を認める状況にあります。比較してみると、日本の国籍は、永住する外国人にとって、帰化をためらわせる条件が強いという点がよくわかります。

表一 欧米各国と日本における重国籍の状況

  無条件の生地主義 生地主義の優勢な
混合形態
混合形態 血統主義の優勢な
混合形態
血統主義
重国籍には非常に寛容 アメリカ
カナダ
ニュージーランド
オーストラリア
イギリス
アイルランド
ベルギー
フランス
ポルトガル
トルコ
イタリア
ギリシア
スウェーデン
フィンランド
ルクセンブルク
重国籍にはかなり寛容       オランダ
スペイン
ノルウェー
重国籍にはかなり制限的     ドイツ   オーストリア
デンマーク
重国籍には非常に制限的         日本

二重国籍に伴う個人の不都合は、今日、大幅に改善されつつあり、外交上の保護が受けられなくなりという理論上の問題も、現実にはほとんど問題を生じていないというのが二重国籍を認めている国々での現状です。もともと、生地主義により、二重国籍に寛容な国は、南北アメリカ大陸と英連邦諸国の多くだということも押さえておく必要があります。これに対して、血統主義により、二重国籍に不寛容な国は、ヨーロッパ大陸とアジアの多くにみられました。しだいに、ヨーロッパ大陸諸国も二重国籍に寛容になりました(一九九〇年代以降に非常に寛容になった国として、スイス、イタリア、スウェーデン、フィンランド、ルクセンブルク)。二一世紀には、人の国際移動がますます盛んになりつつあるアジアの国々でも同じ傾向が予想されるように思います。

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Q15 被選挙権が認められないことに問題はないのですか。

反対論には、「いずれ地方の被選挙権を求める声も高まるので、選挙権であっても認めてはならない」という意見もあります。

しかし、民主主義を治者と被治者の同一性と考えるならば、選ぶ者のレベルと代表者のレベルとの人的な相互作用の可能性が必要であり、選挙権者は、被選挙権者でなければならないといわれています。

また、地方議会の被選挙権は認められても、「地方公共団体の長の被選挙権は、外国人には認められない」とする議論があります。とりわけ、いわゆる有事法制との関係での反対論があります。たとえば、周辺事態法により、政府が自治体の長に、地方空港や港湾施設の使用、または公立病院における傷病兵の治療を要請しても「正当な理由」があれば拒否できるし、災害時の自衛隊派遣も原則として自治体の長が要請できるので、地方政治への外国人の関与に反対する意見も登場しています。この種の自治体の長がかかわる安全保障上の役割は、住民の生命・安全をいかに守るかという点に主眼があります。日本国民である自治体の長は、日本国民の住民だけの安全しか考えないのでしょうか。そうではなく、外国人住民の安全も同様に考えるはずです。かりに外国人の自治体の長が誕生したならば、日本国民の住民の安全を犠牲にするという前提自体が、日本を永住の地と定めた永住外国人にも成り立つのでしょうか。外国人住民は敵であり、国民だけが味方だとする考え方で、これからの自治体運営ができるのでしょうか。植民地出身者の「外地人」は敵だとする考え方がもたらした、かつての関東大震災という有事における大量虐殺を想起すれば、有事において住民の安全を守るためには、むしろ内外人の平等と協同を、常日頃から醸成する多文化共生政策に、積極的に取り組む必要があるように思われます。外国人の地方参政権は、こうした施策の重要な柱の一つといえましょう。

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Q16 有事の際に問題はないのでしょうか

最近の反対論には、「地方自治体は有事法制などの安全保障、警察行政、教育にかかわるので、外国人が選挙権を通じて首長、地方議員に影響力を行使していいのか」とか、「武力攻撃事態法や国民保護法は、有事の際の国と自治体の協力を定めているので、日本に敵対する国の国籍を持つ永住外国人が選挙権を行使し、国と地方の協力を妨げれば、日本の安全が脅かされる」という意見もあります。

しかし、有事法制における知事の権限が重要となったとしても、敵対する国の利害を代弁する知事を選ぶかのようなこの種の立論の前提として、どれだけの特定国の有権者の比率を想定しているのでしょうか。他方、日本に永住する外国人の親が教育に関与せず、子どもをドロップアウトさせることの問題と比べて、教育にかかわる問題の投票に参加してもらうことの意義はむしろ大きいといえます。不就学や進学率の低さ(正確な統計はありませんが、高校進学率が五〇%ぐらいといわれています)など、外国人の子どもの教育の問題は、日本の将来にとって深刻な問題を投げかけているのが現状です。治安や有事の対策としても、永住外国人ないし特定国の外国人を潜在的な敵とみなすことで、それらの人との憎悪に満ちた敵対的関係をあおることは、むしろ日本の安全保障にとってマイナスでしょう。こうした反対論の背景には、古典的な友敵理論があって、外国人は敵、国民は見方という、単純な二分法がありますが、現実の人間は、地域、国、職場、学校など、多様な所属に伴う多様な利害関係と多様な政治志向をそなえています。先行する諸外国での外国人の投票行動の実証的な多くの調査結果からも、同じ国籍であっても、投票行動は多様であることがわかります。たとえば、スウェーデンが外国人地方参政権を導入した一九七五年は、冷戦構造のまっただ中にあって、地理的にも、近隣諸国との有事を当然に想定し、民間防衛という国民保護法制を備えていました。当時の外国人の人口比率は五%でしたが、有権者比率や国籍の多様性からして、外国人の地方参政権でスウェーデンの安全が脅かされるといった根拠の乏しい立論を現実主義的なこの国の政治家はしていません。むしろ、投票率の低さから、いかに選挙に参加し、社会参加をはかるのかが、先行する諸外国での実際の現実的課題です。

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Q17 国益に反するのではないでしょうか

地方選挙権の反対論として(主にはQ一五に関する被選挙権の反対論なのですが、最近では、選挙権の反対論として)、外国人の出身国政府の手先のような為政者によって国益に反する決定がなされるかのように、出身国政府の影響力の行使を問題視する意見があります。しかし、外国人人口の方が多い自治体というのは、想定しにくく、外国人人口が多いといっても、その出身国は多岐に分かれるので、特定の国の利益を代弁するような首長が選ばれる現実の可能性は、外国人人口の比率が二〇%を超える国でもありません。日本の外国人人口比率が二%に満たない(永住外国人の比率は一%ほどの)現状において、外国人集住自治体の中で最も比率の高い大泉町で一六%、その最多グループのブラジル人でも、人口の八%にすぎません。永住外国人の比率となると、さらに低くなります。特定国出身の外国人有権者比率は一%未満であるのがほとんど大半の日本の自治体の現状です。

竹島や尖閣列島を例に、隣接する国々との領有権をめぐる問題で国益に反する投票を問題視する反対論があります。しかし、そもそも、この種の問題で有権者の圧倒的多数の日本国民の投票行動が二つに分かれるという前提は想定しにくく、特定国の外国人出身者の投票がキャスティングボードを握るという状況は現実味が乏しいように思います。また、外国人住民が漁業その他の関連業者の場合、むしろ日本の国益が職業上の利益と重なることにも目を向ける必要があります。基地の問題についても、かりに日本国民の住民の意見が二分しているとすると、それ自体が国籍に基づく国益よりも、住民としての利害関係が現実の投票行動に大きな影響を与えていることの証拠です。外国人住民の場合だけが、住民としての利害関係ではなく、国籍国の国益だけに基づいて投票するという想定はかなり無理があります。しかも、外国人住民の国籍は多岐に分かれ、基地に対する諸国の国益もまた多様です。

先行する諸外国の経験からは、外国人の投票率と当選者比率は、国民のそれよりも、はるかに低い状況にあります。特定国の国民がみな同じ投票行動をするという想定は非現実的です。ちなみに、世界一人口の多い中国人は、永住外国人の地方選挙権をすでに認めている国々でも、永住者として多くの人が住んでいるわけですが、経験的には、地方選挙権における集団投票その他のトラブルの例は報告されてはいません。また、かりに特定国の出身者が同じ投票行動をとると仮定しても、外国人有権者の出身国が多岐にわたる以上、外国人有権者全体の投票行動は多様になります。諸外国の経験からいえることは、職種や信条などが多様に異なる外国人有権者の投票は、外国人排斥を専門とする政党以外には、多様に分かれるとともに、滞在年数が増えるほど、国民一般の投票傾向に近づくようです。

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Q18 外国人参政権を認めている国を教えてください

「外国人地方参政権を認めていない国の方が多い」という反対論があります。これに対して、「先進諸国では、外国人地方参政権を認めている国の方が多い」という賛成論もあります。

たしかに、二〇〇近くある国(国連加盟国は一九二)のうち、外国人参政権どころか、自国の国民の場合であっても公正で民主的な選挙を実現していない国も少なくないのが世界の現状のようにも思います。しかし、EU二七カ国にスイス、ノルウェー、アイスランドを加え、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドおよび日本を含む三五カ国を比較しながら、先進諸国の動向を検討する視座は重要と思われます(参考までに、多くの点でこれらの先進諸国と比較可能なロシア、イスラエル、韓国も括弧書きで加えると三八カ国になります)。これらの先進諸国にあって、何らかの形で外国人の地方選挙権を認めていないのは日本だけであり、日本国憲法の主権原理だけが今なおどのような場合でも外国人の参政権に対する違憲論を導くとする説得力は乏しいように思われます。

なお、最近でも、EU諸国は、EU市民にだけ、地方選挙権を保障しているにすぎないという誤った議論をする人がいますので、表二に、先進諸国における外国人の地方参政権の状況を整理しておきます。EUの二七カ国のうち、の一一カ国だけがEU市民に限るタイプであり、の一二カ国は永住外国人にも認めるタイプであり、の四カ国はEU市民+αに認めるタイプである。したがって、EU市民に限定する国は、半分以下であり、半分近くの国は、永住外国人にも地方選挙権を認めています。

表二 先進諸国における外国人の地方参政権

(定住型)永住または一定期間の定住を条件  
スウェーデン、デンマーク、フィンランド、オランダ、アイルランド、リトアニア、スロバキア、ノルウェー、アイスランド、(ロシア、イスラエル) 選挙権と被選挙権
ベルギー、ルクセンブルク、エストニア、スロベニア、ハンガリー 被選挙権はEU市民のみ
ニュージーランド、(韓国) 被選挙権は国民のみ
スイス、アメリカ、オーストラリア 一部の州や自治体
(互恵型) お互いの国だけで認め合う  
ドイツ、フランス、イタリア、ギリシア、オーストリア、キプロス、チェコ、ラトビア、ポーランド、ブルガリア、ルーマニア、スペイン  
(伝統型) 旧植民地出身者にも認める  
イギリス、ポルトガル、マルタ EU市民と一部の旧植民地
カナダ 一部の州

また、OECD加盟三〇カ国(EUへの新規加盟国を除く上記の先進諸国に加え、トルコ、メキシコ、チリ、韓国がはいっている)のうちで、外国人の地方参政権を認めず、重国籍にも寛容ではなく、外国出身者の政治参加についての両方の政策をどちらも取り入れていない国は、日本だけともいわれています。

さらに、いわゆる欧米諸国以外の研究はこれまであまりしていないのですが、外国人参政権に関するその他の国の情報も今回集めてみました。詳しい調査は後日に譲ることにして、表三に外国人参政権の関連データを紹介しておきましょう。

表三 外国人の参政権と関連データ

表 外国人の参政権・被選挙権・住民投票権の関連データおよび国内居住者の重国籍

国政選挙権 国政被選挙権 地方選挙権 地方被選挙権 居住期間、特別な要件、(被)選挙年齢、備考 住民投票権 重国籍
(住民型)              
アイルランド × 15日。イギリス国民は国会選挙権も。住民投票。18歳(21歳)。常居所。
(定住型)              
スウェーデン × × 3年、EU市民と北欧市民は短期(30日)。18歳。
ノルウェー × × 3年、北欧市民は短期(選挙の年の3月31日)。18歳。
デンマーク × × 3年、EU市民・北欧市民は短期(7日)。住民投票(諮問)。18歳。
フィンランド × × 2年、EU市民・北欧市民は短期(51日)。住民投票(諮問)。18歳。
アイスランド × × 5年、北欧市民は3年。住民投票(拘束、諮問)。18歳。
オランダ × × 5年、EU市民は短期(42日)。住民投票(諮問)。18歳。
リトアニア × × 合法居住者  
スロバキア × × 3年  
ベルギー × × 5年、憲法・法律・欧州人権条約への忠誠の宣誓。被選挙権×。18歳。 EU市民。投票義務。市長と助役の被選出権×。 住民投票(諮問)は、16歳。全住民。
ルクセンブルク × × 5年.被選挙権×18歳。 EU市民:5年。義務。候補者リストの半分は国民。市長と助役の被選出権×。  
エストニア × × 5年かつ永住(3年)、被選挙権× EU市民。  
ハンガリー × ×      
スロベニア 永住者(5年)、上院の職能代表は選挙権のみ、地域代表は被選挙権も EU市民。  
スイス × × ヌーシャテル州は永住(5年ないし10年)かつ州に1年で選挙権のみ。ジュラ州は州に10年かつ当該自治体に3年で選挙権と被選挙権。ヌーシャテル州とジュラ州の選挙権は州レベルも。ヴォー州は10年かつ州に3年で選挙権と被選挙権。フリブール州は5年で選挙権と被選挙権。ジュネーブ州は、8年で選挙権のみ。Wald、Speicher, Trogen)、グラウビュンデン州、バーゼル・シュタット準州。18歳。
ロシア × × 永住。2002年の外国人の地位に関する連邦法。18歳(21歳)。 住民投票(拘束)。  
イスラエル × × 永住者  
ニュージー ランド × × 1年の永住(0~2年)。1975年8月22日以前に登録したイギリス臣民の被選挙権は2002年に廃止。
オースト ラリア 1ヶ月。サウス・オーストラリア州は●。他州でも1984年1月26日以前登録のイギリス臣民は国、州、自治体で△  
アメリカ × × タコマパーク市など5自治体。(+ニューヨークとシカゴは教育委員選挙)  
マラウィ × × 7年、被選挙権× 1994年憲法77条    
韓国 × × × 永住許可資格を取得して3年以上居住している永住者。 継続して居住できる外国人(条例上は永住者)に住民投票(拘束)、20歳。
日本 × × × × 自治体が永住者(10年が原則)に住民投票(諮問)、18歳(13、15、20歳)。
(互恵型)              
フランス × × EU市民。市長と助役の被選挙権×。18歳。
ドイツ × × EU市民(3ヵ月)。バイエルンとザクセン州は市長選挙権・助役の被選出権×。18歳(ニーダーザクセン州は選挙権16歳、長の被選挙権23歳以上65歳未満)。 ハンブルク州以外は、住民投票(拘束・諮問)を認める。
ギリシア × × EU市民。市長の被選挙権×。18歳(被選挙権21歳)
ラトビア × × EU市民。    
オーストリア × × EU市民△、市長、助役の被選挙権は×。18歳。 住民投票(拘束、諮問)を認める州は多い。
イタリア × × EU市民。市長の被選挙権、助役の被選出権×。住民投票(諮問)。18歳
キプロス × × EU市民。市長の被選挙権、助役の被選出権×  
ポーランド × × EU市民。  
スペイン × × EU市民は短期。ノルウェー国民は3年。18歳。2006年6月に5つの南米諸国と互恵条約を結ぶ意思があると政府が宣言した。  
チェコ × × EU市民。他も相互主義で可能だが、まだ互恵条約の実例がない。  
ブルガリア     EU市民。    
ルーマニア     EU市民。    
(伝統型)              
イギリス EU市民は短期(3ヵ月)。英連邦市民(約50)・アイルランド国民は国会選挙権も。18歳(21歳)。住民投票(拘束)。
ポルトガル EU市民は短期(6ヵ月)。選挙権が2年、被選挙権が4年のポルトガル語公用語国民(ブラジル、カボ・ヴェルデ)。他は選挙権が3年(ノルウェー、アイスランド、チリ、ウルグアイ、アルゼンチン、ベネズエラ、ペルー)、 ブラジル国民は国会選挙権・被選挙権、大統領選挙権(×被選挙権)も。 住民投票(拘束)。18歳。  
カナダ × × ノヴァ・スコシア州でイギリス臣民に、ただし、それも廃止の方向。 サスカチュワン州では、1971年総選挙時に登録していたイギリス臣民にも。  
マルタ     英連邦市民とEU市民    
ドミニカ 英連邦市民。被選挙権は上院のみ。    
グレナダ 英連邦市民。    
ギアナ 英連邦市民。1年。    
ジャマイカ 英連邦市民。1年。    
バルバドス 英連邦市民。3年で選挙権、7年で被選挙権。    
セントルシア 英連邦市民。被選挙権は、国内生まれ。    
セントヴィンセント・グレナディーン 英連邦市民、1年。被選挙権は、英語能力必要。    
セントクリストファー・ネービス × × 独立前に生まれた英連邦市民、1年。被選挙権は×。    
ベリーズ ×   英連邦市民、1年。下院の被選挙権は×。    
モーリシャス 2年.ただし、被選挙権は英語能力必要      
ジャージー 登録日までの2年(登録日までの6カ月で、通算5年)    
               
コロンビア       同上、5年で地方議会と市長の選挙権。    
ブラジル 上記ポルトガル参照、3年    
カボ・ヴェルデ     同上、ポルトガル公用語国民    
チリ     同上、5年    
ウルグアイ     同上、15年で国会選挙権    
アルゼンチン       同上、市町村と州の選挙権    
ベネズエラ       同上、10年で市町村、郡、州の選挙権    
ペルー       同上    

○は一定の条件ですべての外国人に参政権や住民投票権を認めている、重国籍には非常に寛容である。

●は特定の地域がすべての外国人に参政権や住民投票権を認めている、重国籍にはかなり寛容である。

△は特定国出身の外国人に参政権や住民投票権を認めている、重国籍にはかなり制限的である。

▲は特定の地域が特定国出身の外国人に参政権や住民投票権を認めている、重国籍には非常に制限的である。

×は外国人の参政権や住民投票権を認めていない。

無は住民投票制度が無い。

空欄は調査中。

網掛けは、詳細未確認。

(詳細が未確認の国もありますが)表三の中では、地方選挙権のレベルでいえば、(○で示した)永住外国人にも認める定住型の国は、二七カ国(●で示した一部の州などで認めている場合を加えると、三〇カ国)です。(△で示した)相互主義による互恵型や旧植民地とのつながりによる伝統型で特定の出身国にかぎる国は、二五カ国(▲で示した一部の州などで認めている場合を加えると、二六カ国)です。国連加盟国の一九二カ国のうちの五六カ国(四分の一強)が何らかの形で外国人の地方選挙権を認めています。

ただし、表二にあるように、いわゆる先進諸国の大半は、何らかの形で外国人の地方選挙権を認めており、まったく認めていない国は、日本だけということもできます。たとえば、先進諸国として、EU二七カ国にスイス、ノルウェー、アイスランドを加え、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドおよび日本を含む三五カ国を比べてみると、永住外国人に認めている国は一五カ国(一部の州などで認めている場合を加えると一八カ国)で半分くらい、特定の出身国にかぎる国は一四カ国(一部の州などで認めている場合を加えると一五カ国)で半分くらいといえます。

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Q19 外国人の地方参政権導入前後の各国での議論と現在の日本の議論は似ていますか

外国人の地方参政権をすでに導入している国々で、導入前にどのような議論があり、導入後、どのように評価されているかを簡単に紹介しておきましょう。今後の日本の問題を考える上でも、論点を整理するのに役立つと思います。

まず、スウェーデンでは、一九六八年に社民党議員から地方参政権に関する提案がなされ、その後、国政選挙に関しても提案がなされました。「代表なき課税は専制である」とのスローガンが用いられ、この国の豊かさと発展に貢献して、税金を払っている者は、議会で代表されるべきことを民主主義は要請していると考えられました。一九七一年に、スウェーデンにおける最大外国人グループの出身国であるフィンランドが、北欧審議会において北欧市民の地方参政権を相互に認め合う提案をしました。しかし、一九七二年まで、政権党である社民党においても、地方選挙と国の選挙を同じ日に行う方針に合わないとして、外国人地方参政権には反対論が強く、賛成論は少数派でした。一九七三年にフィンランド大統領がスウェーデンに来たとき、スウェーデンの首相パルメが、北欧市民にかぎらず、すべての外国人に地方参政権を認める方針を打ち出したことが転機となりました。最終的には、一九七五年に全政党が賛成し、外国人の地方参政権の法案が可決され、一九七六年から実施され、同年から、帰化の居住要件も短縮されました。したがって、外国人地方参政権の提案がなされてから一定の期間の議論を経て、韓国の大統領が日本で果たしている促進的役割を、フィンランド大統領がスウェーデンで果たしている点は日本と似ています。また、外国人参政権への対案として帰化の簡易化が提案される構図も似ており、国籍取得を容易にすることと外国人地方参政権が、両方認められる形で権利向上が進んだことも参考になります。その後、一九八〇年代に、フィンランド政府も賛同した国政レベルの参政権問題は、他の北欧諸国での支持や国民の支持のとりつけが難しく、頓挫し、もはや国政レベルの参政権は議題にのぼることはなくなりました。二〇〇一年からは二重国籍を原則として認める国籍法改正が政府から提案されています。地方参政権の導入が間違いであったという意見は、ほとんど聞かれませんが、外国人の投票率が六〇%から三四%へと毎回減少しているのが最大の問題といわれています。平等・選択の自由・協力という統合政策の不十分さが低い投票率を反映しているので、よりいっそうの実質的平等政策が必要といわれています。

デンマーク、ノルウェー、フィンランドは、当初、北欧市民にだけ、地方参政権を付与したものの、その後、スウェーデンの経験が参考とされ、すべての定住外国人に対象を広げました。デンマークは、一九八一年に三年以上の定住外国人に選挙権者・被選挙権者を拡大しました。このときの国会の表決は、賛成八〇、反対六一、棄権三二、無効六という結果であり、必ずしも大多数の賛成を得たわけではありませんでした。ノルウェーも一九七七年に北欧市民に地方選挙権・被選挙権を認めましたが、一九八五年から三年以上の定住外国人に拡大しています。当時の世論調査では、この参政権の拡充に対する賛成四六%、反対四二%、どちらともいえない一二%であり、国民の支持はそれほど多くはありませんでした。スウェーデンでも導入前は、それほど高い世論の支持をもっていたとは思われませんが、二度目の実施の年である一九七九年の調査によると、すでに外国人の地方選挙権は賛成八一%、反対一六%、どちらともいえない三%、地方の被選挙権は賛成六七%、反対三〇%、どちらともいえない三%と圧倒的に賛成が上回っています。

オランダでも、一九八〇年代に、外国人の地方参政権を導入する前後に、オランダで外国人の両親から生まれてオランダに住んでいる若者には、一八歳から二五歳のあいだに、従来の国籍を保持したまま届出によりオランダ国籍を取得できる国籍法改正も行われました。オランダでも外国人の地方参政権に反対する意見は、当初、有力でしたが、スウェーデンその他の北欧諸国の経験をみて、反対派も態度を変え始めました。また、反対派の政策転換をもたらした重要な事件としては、インドネシア国籍も、オランダ国籍の取得も拒み、無国籍者となっていたモルッカ人の若者たちが、電車を乗っ取り、建物を占拠する事件が社会に衝撃を与えました。移民の短期滞在というフィクションを捨て、民族的少数者を多く抱えている将来のオランダ社会をどうするかが重要な問題となり、過去の植民地政策における負の遺産を解消する上でも、少数者政策の一環として外国人の地方参政権が位置づけられることになりました。また、ロッテルダム市とアムステルダム市で、条例により、区議会議員選挙の参政権を外国籍住民に認めた経験が好結果であったことも、移民政党が台頭するのではないかという国民の不安などを解消するのに役立ったといわれます。

杞憂とも思える、反対論が日本でも登場している点は、似ています。実際に、日本では試験的に行った地域もないので、不安に思う声もあるのでしょう。ただ、合併などの住民投票に外国人住民が参加した実例はかなりあり、そこでの問題はとくに聞きません。外国人住民の投票率の実証的な研究もありませんが、一部新聞報道されたところによれば、投票率は、諸外国の経験と同じく、それほど高くなかったようです。

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Q20 永住市民権とはどのようなものですか

「市民権」という言葉は、多様な意味で使われています。ここでは、「政治共同体における個人の一連の権利と義務」という意味で用います。また、国籍に基づく権利と義務の意味で市民権という言葉を使うこともあります。さらに、今日では、その国の国籍をもたない居住者がその国で一定の権利を保障される場合に国籍とは区別された市民権という用語を必要とするようになりつつあります。

たとえば、「EU市民権」がこの一つの例です。EU市民権とは、EU加盟国の国民に相互主義に基づいて認められる地方参政権や居住権などの一連の権利をさします。いま一つの例として、「永住市民権」があります。この場合は、永住しているすべての人に普遍主義に基づいて認められる地方参政権や居住権などの一連の権利を意味します。これまで、国民のみが市民権をもっていると考えられていたのが、一定の内容の市民権を国民以外ももつようになり、「国の枠を超えた市民権」の二つのタイプにより、「市民権の国際化」という現象が多くの国でみられるようになってきました。

一方、人権の国際化も、第二次世界大戦後から徐々に進んでいます。各国に在留する外国人も、国際人権規約、人種差別撤廃条約など、国際的な人権諸条約によって、「人権」が保障されるばかりか、各国の憲法においても、人権が保障されています。日本国憲法にあっても、「基本的人権」を保障すると明記しています。ただし、日本国憲法制定当初、人権を定めている第三章のタイトルが「国民の権利及び義務」となっていることから、外国人の人権享有主体性を否定する消極的な学説もみられました。この場合は、日本国憲法は、国民の権利と義務、すなわち国籍に基づく権利・義務としての「市民権」だけを定めており、「人権」を定めていないということになってしまします。判例は、マクリーン事件最高裁判決以後、「憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解する」性質説が、大多数の学説上も取り入れられていきます。今日では、権利の「性質」に応じた制約が、外国人の「態様」に基づいて説明されています。多くの憲法学者は「定住外国人」の場合を一般の外国人と区別するようになりました。

従来の憲法学や国際法学上、国民国家の閉じた体系においては、「国籍に基づく権利と義務」、または「国民の有する一連の権利」が「市民権」と呼ばれてきました。今日では、居住の自由と職業選択の自由については、外国人の制約が依然として大きいとはいえ、永住外国人の場合は、公共の安全を害するような場合に退去強制される可能性、一定の公務員になることができないなどといった、わずかな制約を残すにすぎません。さらに、社会権の面では、永住外国人と国民との違いはありません。唯一、政治的な権利において、永住外国人と国民との違いは決定的なものとなっていましたが、永住外国人も永住市民として、一定の参政権を認められる時代になりつつあります。国民の有する市民権に準じた形で永住市民の有する永住市民権が形成されています。

「人権」という概念を縮減させるのか、「市民権」という概念を発展させるのか、発想の違いはあれ、「定住外国人の人権」と「永住市民権」は、同趣の内容を別のアプローチから表現するものにほかなりません。「市民権」といえば、国民にのみ保障され、外国人には一〇〇パーセント保障されないというオール・オア・ナッシングのかつての発想では、この新しい市民権論には対応できません。人権論は、すべての人に保障されるべき権利が一定の外国人には一定の範囲で制約される原理の解明を余儀なくされています。他方、市民権論は、国民にのみ保障されるとされてきた権利が一定の外国人にも一定の範囲で保障される原理の解明を必要としています。二つの理論の融合・発展がいまや各地で繰り広げられています。日本では、永住市民の参政権の問題が、他の居住権、社会権、公務就任権などと一緒に体系だって整理される上で、「永住市民権」という日本語が必要とされています。また、同時に、参政権は主権の行使にかかわる権利であることから、主権の行使をになう個人としての「市民」としての属性を、永住者が有していることを明確に示す上でも、「永住市民」という用語が有用とされています。

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