論文・主張- Opinions -
岡崎 勝彦 さん
試される日本の人権度・分権度・共生度
ー「外国人地方参政権=違憲」論を批判する ー
- <プロフィール>
- 岡崎 勝彦さん:
- 愛知学院大法科大学院教授、主な編著書に『現代行政法入門』(法律文化社)
- 『外国人の公務員就任権』(地方自治総合研究所)など。
この問題を考える上で大事なポイントは、我々の未来・将来をどう考えるかということです。したがって、反対論者の中にある非常に偏狭な国家観やイデオロギーとはまったく違う方向で解決しなければならないというのが第一点です。もう一つは、外国籍住民の地方参政権問題は、住民自治の問題だということです。つまり当該自治体を構成している住民である限りは、その白治体の組織や運営に直接関わるのは当たり前のことで、それは国籍に関係ないということです。
私白身は、永住外国人のみならず、在住歴五年以上のすべての定住外国人に、選挙権と被選挙権を付与すべきだと考えています。一九九七年に発効した欧州評議会による「地方レベルにおける外国人の公共生活参加条約」第六条第一項などでも、在住五年で選挙権・被選挙権を付与しています。ただ私は、憲法論としては地方参政権だけに限定する必要はないと思っています。
憲法の恣意的解釈人権論への無知
反対論者の憲法上の論点は三つです。一つは憲法第十五条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」との規定。「国民固有とは国民に限る」という意味だから、外国人にはみとめられないというものです。これはまったく主観的な解釈。もともと、歴史的な人権論から言えば、「固有の権利」とはinalienableな権利、バージニア州憲法とかアメリカ独立宣言などにもありますが、「国民である限りは奪われることのない権利」、「譲り渡せない権利」という意味です。したがって日本国民である限り奪われませんが、他者を排除するものではない。それを「国民だけに限る」とするのは、そもそも人権論に対する無知であり、決定的な間違いです。
憲法論としては、外国人の参政権は禁止されており、そのための立法措置は憲法違反(「禁止説」)だというのが支配的でしたが、九五年の最高裁判決で「許容説」が打ち出され、立法措置で外国人に地方選挙権を保障することは憲法で禁じていないとされたのです。憲法十五条の「固有の権利」からすれば、国民にだけ保障するのではなくて、他者に対して具体的な立法措置を講じて保障することは全然に問題ありませんというのが、今や、判例および拳法学界の通説です。
地方自治体は国と対等・並立
二つ目は、「地方公共団体は国の統治体制の一側面にほかならない」、「国政の一部であり、一体である」という主張ですが、いったいこれまで地方分権論の何を議論してきたのかと言いたい。憲法自身が、地方公共団体は独立した法人として、国と地方は対等で並立の関係であることを保障している。また、今回の地方分権一括法では、いわゆる国が自治体を下部機関とみなして自治体に仕事を代行させてきた悪名高い「機関委任事務」が廃止され、より憲法の趣旨にかなった方向で改善されつつあります。ですから、国防の問題であれ、原発の問題であれ、教育の問題であれ、「国と地方は一体でなければならない」「国が認めないのなら地方も当然認めない」、という議論は、憲法論の誤読・誤解です。いわんや地方公共団体の役割は、地域における住民の福祉の増進を図ることが第一義的責務ですから、国防の問題であれ、平和の問題であれ、それが地域住民のくらしの問題である限りは、地方が責任を持つの は当たり前で、国と地方自治体の意見が違ったら、その段階で調整すればいいことです。それが憲法で保障された地方自治の本旨であり、その具体化なのであります。
外国人参政権に道開いた最高裁判決
三つ目が、在日外国人の地方参政権に道を開いた九五年の最局裁判決について、「主文ではなく、傍論で述べていることだから、判例上の拘束力がない」というものです。最高裁は、当該事件に関しては、判決の「主文」で、憲法は在日外国人に地方公共団体における選挙の権利を保障していないとし、その上でいわゆる「傍論」で、地域に関わりの深い永住者等について立法措置を講じて地方選挙権を付与することを憲法は禁止していない、と述べたのです。一般的にいって、裁判所、すなわち司法機関が、立法機関や行政機関に対して、判決文で意見を述べることはよくあり、それ自体何の問題もない。それは判決文の一部であり、最高裁としての判断・見解であり、判例の一種を構成するものなのです。その後、福井の訴訟では、名古屋高裁金沢支部が、選挙権も被選挙権も含めて「地方参政権」の付与については立法政策であると言っています(九六年六月)。これを受けて大阪では、立法不作為の状況が続くのは違憲である、という形で不作為の違法確認訴訟が起きましたが、地裁(九七年五月)、高裁(九九年二月)はいずれも、選挙権及び被選挙権の付与は立法政策であると判決文で言っています。反対論者が何と言おうと、明確に判例として踏襲され、定着してきているのです。
最後に、外国との比較ということですが、反対論者は『週刊新潮』や『産経新聞』などの表現媒体で、スウェーデン等での参政権付与は「移民の流入を奨励する目的」とか、北欧諸国は歴史的に互いに「外国人」と見なさないほど国を超えた人の交流と一体性があったことなどをその特殊要因にあげています。しかし、それらもまた、以下にいうとおり、まったく噴飯ものです。
まず、かつてスウェーデンなどは、確かに一九三〇年代までは海外への出稼ぎのため人口が急減し、国内労働力を補うために積極的に移民を受け入れたものです。しかし、今問題となっているのは、ドイツなんかと同じで、戦後の一九七〇年代までの外国人労働者受け入れ政策を、オイルショックを契機にやめてしまったものの、そのまま帰らずに定住・定着した外国人労働者や呼び寄せ家族の共生社会の構築に向けて、一九七五年に定住外国人の権利向上政策の一環として行なった地方参政権導入の件なのです。その立法趣旨は、それによって定住外国人が身近な問題への政治的影響力を持つことが出来、政治的な関心を高め、人間の尊厳あるいは自尊心を追求すること、他方、社会にとっては、公正な社会作りを促進し、自治体をより活性化させることにあります。
次に、北欧諸国の歴史的「一体性」論についても、たとえばスウェーデンにおける定住外国人は一九八〇年には五七%が北欧出身者であったのが、一九九七年には三一%にまで減少している現状を無視するものです。
恥じることなく、まことしやかに、論点はずしを行なうこれらの見解は、日本人としての「良心」の存否に直接かかわる問題です。
定住外国人の参政権をめぐる今後の展開こそ、わが国の人権度、分権度、共生度が試されているものといえます。
